私たちは、自分が「空」だということを忘れたときから、つまり、「肉体エゴ」が自分だと錯覚したときから、そこからすべての恐怖と苦しみが生まれた。奪われる恐れというものが生まれた。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』

私たちは、自分が「空」だということを忘れたときから、つまり、「肉体エゴ」が自分だと錯覚したときから、そこからすべての恐怖と苦しみが生まれていきました。
奪われる恐れ(死への恐れ)というものが生まれたのです。

以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.341より引用させていただきました。

こうやって文章にしてみると、これは当たり前過ぎることなのかも知れない。

何かを食べないと死ぬから、死への恐れから、人類は狩りをしたり漁をしたり植物を採取したり、してきた。

あるいは、肉体が傷つけられると痛みがあるし、ひどい時には、死に至るから、肉体が傷つくことも恐れた。

そうやって、死から派生する様々な恐怖と不安、そして苦しみとともに、人類は生きてきた。

逆に言えば、もし不死身の身体を持ち、痛みからも解放された肉体を持てば、そこになんらかの恐怖が存在する余地があるのだろうか?そう考えてしまう。

決して死ぬことのない、そして、痛みからも無縁の人間は果たして、何かに対して恐怖心を持つのだろうか。
もちろん老いもない、不死なのだから。

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