習慣性になっているリアクション的な「ノー」は、エゴを強化します。一方、「イエス」はエゴを弱めます。エゴは、「手放すこと」「放下(ほうげ)」に耐えられないのです。 : エックハルト・トール

習慣性になっているリアクション的な「ノー」は、エゴを強化します。一方、「イエス」はエゴを弱めます。エゴは、「手放すこと」「放下(ほうげ)」に耐えられないのです。

以上、エックハルト・トール (著), Eckhart Tolle (原著), あさり みちこ (翻訳)『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』P.123より引用させていただきました。

エゴは、手放すことに耐えられない?

それでいて、習慣的には「ノー」を連発する……
なんだか、自己矛盾しているように思えます。

「ノー」なんだから、要らないと、手放しても良いようなもんです。(^-^;

というか、現実との関わり合いにおいて、エゴは、現実とは奪うものであるという認識があるんでしょうね。
だから、取られまいとして、とりあえず何にでも「ノー」を連発してしまう。

この「ノー」が自分自身に向けられた時それは自分を分離していくことを意味するんでしょうね。
そうやって現実と自分、そして自分自身をも分離していくことで、エゴを強化していくのでしょう。

MIL41016

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