さっきの自分と今の自分が見ているものは全く違っているのです。
でも、「何も変わっていない」という解釈を採用することによって、同じことが持ちこされているように錯覚してしまうのです。
実際は、さっきと似たようなことを、新しく創り直しているだけです。
以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.283より引用させていただきました。
ということはつまり、もし今の現実と似たような現実を次の瞬間にわざわざ創り直さないで、自分の好きな現実を創れば、それはあたかも?テレポテーションのような感じになるということですね。
今日本にいるから、次の瞬間も日本にいるように疑いもなく思うけど、実際は次の瞬間世界のどこにいてもおかしくない……のかもしれません。
映画のフィルムの今の一コマと次の一コマは、似ているけど全く別のものです。
別のものだけど、連続していると錯覚することによって、映画として楽しむことができます。
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