たんなる”反応の記録”の寄せ集めが「エゴ」。その記録の記憶によってまたさらにあなたが感情的に反応したり行動した結果も「エゴ」に情報追加される。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

たんなる”反応の記録”の寄せ集めが「エゴ」。その記録の記憶によってまたさらにあなたが感情的に反応したり行動した結果も「エゴ」に情報追加される。 : 『空(くう)―天翔ける歓喜の弥栄』をバシャール的に読む

たんなる”反応の記録”の寄せ集めが「エゴ」であるし、その記録の記憶によってまたさらにあなたが感情的に反応したり行動した結果も「エゴ」に情報追加されるのです。
それでも、全部がたんなる”記録”のデータにすぎません。

以上、Mana (著) 『空(くう)―天翔(あまか)ける歓喜の弥栄(いやさか)』P.91より引用させていただきました。

エゴとは肉体が”反応した記録”(情報)
そして多くの人がこのエゴを自分自身だと信じている
つまり、”過去の肉体反応の記録”が自分であると……

でも本当は肉体エゴとは、自分が創り出した現実を観察するためのツールに過ぎない
エゴとはテレビゲームでいえば自分の分身のプレイデータにしか過ぎない

そしてもうすでに現実としては存在しない過去に対しても肉体エゴは反応することができる。その結果もエゴに情報として追加されていく。

確かに過去の悔しい思い出などを思い出すと今でもありありとそういう記憶が蘇ってきて
もうすでに存在しない現実に対して”悔しい!”という感情反応をふたたびしてしまうことはあります。

それがまたあらたなエゴすなわち自分の一部となってしまうのは非常に残念なことですね。

MIL30042

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