「大いなるすべて」の中にあるものは、それを構成する「部分」の中にもあり、また、「部分」の中に存在しているものは、たったひとつの「大いなるすべて」の中にもあるのです。
以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリント』P.41より引用させていただきました。
大いなるすべて=神、部分=自分 であるなら、自分のなかに悪があるとすれば、神の中にも悪があるのだろうか。
その善対悪の比率は、自分と神とでは、同じなのか違うのか。
そもそも悪とはなんだろう?一番の悪は殺人だ。
もし人間の寿命と言うものが、神からくるなら……それは……
などと、とりとめなくも考えてみるのも、たまにはいいかもしれない。
2014.1.6追記
そもそも善悪という観念自体が人間的なものであって、神からすると、善悪はないのだろう。
神からすると、すべてはただそうであるだけで、そこに意味は存在しない。
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