フラットな映像で見えない時には、完全に外に意識を向けてますから。
でも映像として見るということは、こっち(自分のほう)に意識を使い出すということです。
そして映し出すのに使ったバイブレーションを、形にして手放してください。
以上、関野 あやこ (著), 笠井 裕子 (編集), 佐藤 カスミ (編集), 大湯 由里子 (編集) 『なつかしいハーモニーの惑星へ』P.244より引用させていただきました。
最近ミタさんは感情を取り戻しつつありますが、それ以前のミタさんは、ほとんど感情がありませんでした。
感情がないからこそ、そこになんの判断も入らず、人を殺せと命令されれば、それも実行しました。
でも、その結果崩壊寸前の家族は救われました。
それぞれが本当の自分の思いに気づいた時、家族は救われました。
ミタさんに感情があって、この家族をことあるごとに判断し批判していたら、果たしてどうなっていたのでしょうか?
おそらく、それぞれの家族はいまだ自分の中の本当の思いを打ち明けられずにいたことでしょう。
ミタさんはおそらく現実をなんの感情も持たずフラットな映像で見ていたと思います。
だから心はロボットのように冷静でした。ミタさんの目に映る映像はある意味中立でなんの意味もなかった。
その結果ミタさんの行為はバシャールの言う「無条件の愛」に近いものであった。
しかし、意識は自分のほうには向いていなかったし(いや逆に映像をフラットに見ているのだから意識は自分のほうに向いている?)、しかもある特定の映像を映し出すのに使ったバイブレーションは自分の中奥深くに封印したままでした。そのバイブレーションを握っていることを感じる感情さえ持っていなかった。だからそれを手放そうともしなかった。
さあ、次回ミタさんは、自分のほうに意識を使い、例のあのバイブレーションを手放すことができるのでしょうか? (それとも、意識を自分に使っているが、バイブレーションを形にして手放していないと言うことか?)
そして彼女にもとの笑顔が戻るのでしょうか。
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