ある思考や情報があなたの肉体の中を通過しているときに、あなたの意識がそこに気づき、それを拾いあげただけのことであり、そのキャッチした情報はあなたを中心としたあなた独自の時空間(宇宙)の中で現実化されるべく活用されていくのです。
以上、Mana (著) 『空(くう) 舞い降りた神秘の暗号』P.69より引用させていただきました。
確かに私達が何かを考えるとき、それはたいてい学んだことであったり、経験して得たなんらかの教訓からだったりします。だいたい考えるときに基礎となる言語自体が、何らかの価値観と一緒に覚えたものです。
たとえば、雪は白いとか、雪は冷たいとかです。
言語の学習のときに、雪は黒いですとか雪は暖かかったとは習いません。
このように普通は、雪の色は何だろう?と考えたとき、雪の色は白いよなと考えます。
でも、雪の色は黒いと考えた場合でも、それは融雪剤をまいたからかもしれないと考えます。
これは雪に融雪剤をまくと黒くなると言う知識、もしくは経験があるからです。
雪に融雪剤をまくとどうなるかは、雪とか融雪剤とか、まったく見たことも聞いたこともなければ、考えようがありません。
あれ?なんだか逆ですね。(^-^;
見たことも聞いたこともないものであっても、それが自分の肉体の中を通過しているときに拾いあげれば、それがどういうものか、わかるはずです。
ええ、そうなんです。
私達の本質は「空」なんだから、すべてを知っているはずです。
私達は神なんだからすでにすべてを知っている。
なのに、またいちいち肉体を通して、その知っているものを経験したいのか?
その答えは、この本の前の方に確かありました。
肉体を通して知覚するのが、本当に知ることだからですね。
ということは、私達はすべてを知っているが、肉体を使ってすべてを体験したわけではない。
と、そうなります。
(ん?ということはこれは、すべての可能性はパラレルワールドとしてすでに今ここに存在はしているが、だからと言って、そのすべてのパラレルワールドをあなたは経験したわけではない、となりますか?存在することとそれを経験することとはまた別の話しってことですか?ということは、すべてはすでに存在しているのだから、それを経験して初めて意味があるってことですね。
私が大金持ちのパラレルワールドも確かに存在している。だけどそれと、”この”私がその大金持ちの状態を経験することはまた別の話である。そうなりますね。)
私達はすべてを知っているから、どんな考えが頭に浮かぼうと、それはもうすでに知っていたことである。
ただ、知ってはいたが、経験したことはないかもしれない。
知っているからと言って、それが即経験したことにはならない。
私達は全員がすべてを知っているので、そのうちの誰かが知っていることは、他の全員が知っている。
他の全員が知っていることはすべて自分も知っている。
この状態では、何を考えても、それはオリジナルとは言えない。
自分オリジナルと言えるのは、考えを現実化して肉体で認知したその感覚だけ。
と、そういうことでしょうか。
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