基本的に、怖れとは「肉体を維持し続ける」という目的を満たそうとするエゴの波動に共鳴することを許す感情のひとつです。怖れは肯定的に創り出されることも否定的に創り出されることもあります。肯定的な怖れとは、ただ単に前述した肉体の維持であり、否定的な怖れとは自分自身を知ることに対する意志の欠如だといえます。
以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.38より引用させていただきました。
生命を失うかも知れないと言う怖れは、肉体の維持から来る怖れですね。
肉体の維持からくる怖れは多そうです。
事件、事故、災害、病気、飢餓、戦争、犯罪などが、その対象となりそうです。
こうやって単語を並べるだけでも、なんだか怖ろしい気分になってしまいます。
あと、最後のは、自分自身を知ることに対する怖れは、自分自身を知ろうとする意志の欠如に過ぎないんだよ、ということを言いたいのでしょうか。
2014.10.08追記
否定的な怖れである自分自身を知ることに対する意思の欠如とは簡単に言えば、本当の自分を知ってしまうことへの怖れなんでしょうね。この場合の本当の自分とは嘘で覆い隠さない現在のありのままの自分ということでしょう。
本当の自分を知ってしまうことは怖いので自分自身を知ろうとしない。
本当の本当の自分は愛なのですが……。
コメント