以下、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.40-42をまとめてみます。
これらのページには、バシャール達の考える「空間とはなにか」について書かれています。
すべてのものは、ひとつの存在そのもののエネルギーから出てきている。
(このひとつの存在とは「大いなる全て」のことか?あるいはおおもとの「存在」のことか?)
時間と空間は、その一番元のエネルギーの形。
(エネルギーが形となる最初のものは時間と空間?)
存在には二つの極がある。
それは 「無」 と 「なにものか」。
この二つの極がひとつになってすべてを創っている。
(「無」は存在しないのに、存在しないものが何かを創る?それが可能なのは「無」は極であるという概念に過ぎないからか?)
最初は「無」だった。
しかし「無」は、そのままではいられない。
すべてを創り出し完結するために何かを生み出さなくてはならない。
「無」が爆発して、この物理次元で、時間と空間を創り出した。
時間と空間は、この「なにか」という部分。
(このへんは地球人の科学的見解とも一致する。宇宙は”無”から誕生した : 『宇宙の不思議なはじまりそして地球と生命』より)
p.41にはこうある。
「自分自身の中のすべてをこの中に含んでいます。ちょうどこの『無』の中にも『すべて』の部分が存在するように」
(この中とは、時間と空間の中のことだろうか。そしてなぜ「無」の中に存在できるのだろう?無は無なのに。)
「無」の部分は、「無」なのでなにも実現できない。
時間と空間は「有」なので、その中ではなにかを創り出すことができる。
時間と空間は、すべてのものを創り出す、実現化する潜在的な力を持つ。
一方「無」の中には、実現できない形でのエネルギー、すべてのエネルギーを実現できない形として持つ。
これによってすべての存在のバランスを保っている。
すでに存在しているものは、存在しない形になることはない。
なぜなら、「無」の方は、これから実現し得ないものをすべて含んでいるから。
今存在しているものが、存在し得ない形になるには、「無」の方がもういっぱい。
このプラスとマイナスのバランスが、今存在しているものの永続性を確証している。
……とのことですが、ちょっといまのところ理解ができません。『バシャール2006』での「無」の概念と微妙に違う気がします。
時間と空間のある世界での「無」は、完全な「無」ではないということでしょうか。
最初は「無」だったのだから、「無」という状態は存在したということでしょうか。
読み返してみて気がついた事は、ここで言う「無」とは、地球人的科学で言うところの反物質とか、暗黒物質とか、そういうマイナスの存在のことに思える。
ビッグバンでつくられた物質と反物質が対消滅をはじめ、わずかに多かった物質だけが残された : 『宇宙の不思議なはじまりそして地球と生命』より
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