神というのは創造の過程に支配されていません。存在というのは単に存在することなのです。それが神の性質です。それ以外にどんな神のあり方もありません。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』P.67より引用させていただきました。
神とはただ単に存在を意味し
存在とはただ単に存在しているものを存在という。
このことは、この三次元の言葉では理解不能かもしれないとバシャールは言っています。
神は創造の過程に支配されていないので、神自身に始まりも終わりもない。
神は存在を意味し、存在はただ単に存在するだけ。
そして存在は決して非存在にはならない。
存在は決して非存在にはならず、今存在するものは、将来もずっと存在する。
ということは、想像できるものは何でも存在の一部であり、非存在になることはない。
考えられる可能性は、いつかどこかで、なにがしかの存在の形がとられていたものか、これからとられるものです。(同書P.67)
(存在とは存在の形がとられる以前にすでに存在しているということですね?)
わたしが存在しているということは、わたしはいつも存在するということ。
わたしは存在の一部であり、非存在の一部ではない、ゆえにわたしは永遠に存在する。それが存在の無限的な意味。
……ということですが、
さてどうしましょう?って感じですね。
だって私たちが永遠に存在すると証明した人はいまだかつてこの地球上には存在しません。公式的には。
これは夢の中にいるうちは、これは夢であると証明できないのと似ているのかもしれません。
夢が夢であったと証明できるのは夢から覚めた後です。
夢にいるうちは、これは夢かもしれないと思うことは可能ですが、夢であると夢の中で証明するのは不可能ではないでしょうか。
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