バシャールの言う自分バージョンの他人というのが閃いた

バシャールによれば、私達は毎瞬毎瞬想像できる限りの無限のパラレル・ワールドを創り出し、そのおのおののパラレル・ワールドに意識のフォーカスを順次スライドさせていくらしい。

そのおのおののパラレル・ワールドには、自分バージョンの他人が居ると言う。

最初自分バージョンの他人と言っても、まったくピンと来なかった。
自分バージョンの他人……自分バージョンの他人……

……と考えていてふと思った。

自分は自分の事を一応は分かっており、自分で自分の感情を感じ、自分の思考を観察している。これが自分でありおそらく他人もそうなんだろうと推測するしか自分は出来ない。

何故なら自分は自分であり他人にはなれないからだ。

自分は自分であり他人には決してなれないのが、この物理的な現実世界だ。
ここがポイントだと思った。

自分が他人にはなれないのであれば、自分が他人だと思っているのは、他人自身ではなく、自分が考えるところの他人でしかない。

他人がどのように見え、どのような声のトーンをし、他人がどのような表情をし、他人がどのような香りを発し……とそのような五感を使って得た情報で他人を判断することしか実は出来ないことに気がついたのだ。

自分は他人にはなれない、自分は他人ではない、魂を入れ替えて他人の肉体に宿るのも違う、他人の魂そのものに自分がなったとき初めて、自分が他人そのものになれる。

しかし、自分は他人そのものではない、自分のパラレル・ワールドにいる他人は、自分バージョンの他人でしかあり得ない。

こうであるだろうと思う他人しか常に自分の世界には存在しないのだ。
それが自分バージョンの他人と言うことだろう。

des01065

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