存在自体には始まりも終わりもありません。存在は常に存在していましたし、これからも存在し続けるのです。 : バシャールと宇宙連合

存在から派生したすべての概念、そしてそれらの概念から生まれたすべての行動が分化していった様子を追っていきます。そして最後に、存在自身の単純さへと戻っていきます。存在から始まり存在で終わるわけです。この初めと終わりの中間にあるものは、すべて存在自体の内部で起きている相互作用と見ることができます。それらの相互作用のたどるすべての道はゼロから始まりゼロで終わり、存在自体がもつサイクルとその円の性質を完結します。それでいて存在自体には始まりも終わりもありません。存在は常に存在していましたし、これからも存在し続けるのです。

以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.19-20より引用させていただきました。

さて、ゼロは無ではないのですか?バシャールさん。 🙂

皿の上にリンゴが三つありました。
誰かがそれを全部食べたので、皿の上にリンゴがゼロになりました。
皿の上にリンゴが無になりました。

皿の上でリンゴはゼロにはなったが、皿はまだ存在しているし、テーブルも家も空間も存在している……。

無とゼロの違いはそういうことなんでしょうね。

存在がサイクルと円の性質を持つというのは面白いですね。
だからこそ、始まりも終わりも無く永遠に存在できるのでしょう。

大きな地球儀の上を小さな小さな虫が歩いているとします。
この小さな虫は空は飛べません。
だから大きな地球儀の上を延々と歩いて行きます。

小さな虫はこう思います。
平面には必ずその境があるはずだから、絶対終わりがあるはずだ。
だから真っ直ぐ行けば必ずこの平面から脱出できる!

でも、何時までたってもこの小さな虫は平面から脱出はできません。
延々と永久に歩き続けるでしょう。

この場合、小さな虫にとって、平面の始まりも終わりも存在しません。
平面は常に存在しているし、これからも存在し続けるのです。
平面の終わり、すなわち無は存在しません。

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