「もっと欲しい」「まだ足りない」「これではダメだ。あれが欲しい」宇宙の源とつながり、瞑想などの修行をするのではなく、他のもので代用しようとします。だから、いつまでたっても不安から逃れることができません。 :『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』より

「もっと欲しい」「まだ足りない」「これではダメだ。あれが欲しい」
宇宙の源とつながり、瞑想などの修行をするのではなく、他のもので代用しようとします。だから、いつまでたっても不安から逃れることができません。

以上を、ヨグマタ 相川圭子 (著)『ヒマラヤ大聖者のマインドフルネス』55ページより引用させていただきました。

そもそもいまの世の中はお金がすべてという価値観でできています。
なので、人々が「もっと欲しい」とか「まだ足りない」「これではダメだ。あれが欲しい」という心の動きは大歓迎です。

そうでないと物が売れません。

一方大衆の方も、欲望を満たすのは好きですから、利害は一致します。
ところが、全員が物質的に満足することは論理的に考えてあり得ません。

一般大衆は、数の少なくて貴重なものに価値を見出すからです。
他人より多く他人より良いものを求めます。
一般大衆の中でのナンバーワンを目指します。

一般大衆が目指しているものは、その物体そのものではなくその物体の付加価値です。
高価で他の誰も持っていないもの、たった一人の勝者しか持っていないもの、あるいはその物体を他の人より多く持っている等、もの自体ではなくその付加価値を求めています。

逆に言えば、その他大勢に埋没する自分は好ましくないのです。
たった一人の自分、もしくは卓越したグループのなかの自分を求めます。

論理的な当然の帰結として、一方では欲望を満たすことの出来ないその他大勢が生まれます。

そしてなぜか?その欲望を満たすための手段としてスピリチュアルを考えている人がいます。
方向としてはまったく逆方向なのに、スピリチュアルに欲望を満たすことを求めている人がいる。

本来の自分として生きることが成功であり、その成功を目指す過程においてのスピリチュアルなら良いのですが、富と名声を得るという成功をスピリチュアルに託すのは方向としては逆方向です。

本来の自分としてワクワクと生きていたら、世間一般で言う富と名声を得ていたというのならいいのですが、富と名声を得たいからワクワクと生きよう!では順番が逆です。

バシャールがいつもワクワクと生きることを推奨するのは、それが本来の自分の生き方だからです。それによっていわゆる成功をする場合があるのは「おまけ」のようなものです。

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