死なんて、どこにも存在していない。神がそんなことを許すほど悪だと思っているの?ただ状態の変化があるだけで、魂は永遠なんだ。:『もどってきたアミ―小さな宇宙人』をバシャール的に読む

死なんて、どこにも存在していない。神がそんなことを許すほど悪だと思っているの?ただ状態の変化があるだけで、魂は永遠なんだ。未開文明のひとたちは前世の記憶を維持したまま肉体が変わるということを許されていない。それが”死”という幻想を生み出すんだ。でも”文明世界”のひとたちはみな過去の経験をはっきりとおぼえているんだよ

以上を、エンリケ・バリオス (著), さくら ももこ (イラスト), 石原 彰二 (翻訳)『もどってきたアミ―小さな宇宙人 (徳間文庫)』240ページより引用させていただきました。

死に関してはバシャールも同じことを言っていますね。

死は存在しない。状態の変化があるだけだ。
死はワクワクする体験であると。

ただ、私たちにとって記憶を失うというのはほぼ死に等しい。

愛する人が突然それまでの記憶をすべて失ってしまい、これからもそれを思い出す可能性がゼロだとしたら、それはほぼ自分にとっては愛する人を失ったに等しいです。

さらに、この自分がすべての記憶を失って、それで自分は自分であると思えるのか?
たとえ変わらず自分が自分であっても、記憶が消えてしまえば、自分は自分ではない気もします。

記憶こそ命とも考えられます。
記憶こそエゴとも考えられます。
記憶する機能こそ人間を人間足らしめている気がします。

ひょっとして魂が永遠であっても、記憶は失われるものであるのなら、エゴというものも存在しない気がします。

そこには魂もしくは命という唯一の状態があるだけで、個という感覚は存在しない気がします。もし記憶という機能が存在しなければ。

記憶の所有イコールエゴなのかも知れません。
記憶という機能があるからエゴが発生するのかも知れません。

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