思考が、愛のために使われているとき、愛のために奉仕しているときには、たいくつというのはありえないんだよ:『アミ 小さな宇宙人』をバシャール的に読む

思考が、愛のために使われているとき、愛のために奉仕しているときには、たいくつというのはありえないんだよ

以上を、エンリケ・バリオス (著), さくら ももこ (イラスト), 石原 彰二 (翻訳)『アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)』149ページより引用させていただきました。

アトランティスが破壊された時に救出された私たちの祖先がオフィル星に住んでいて

彼らは放射線の影響を受けなかったために身長は三メートル近くあり

さらには年齢が500歳のひともいるという。

そして彼らは500年も生きるのに、全然たいくつしないという……。

ただオフィル星と地球の一年の長さがどのくらい違うのかは不明です。(^-^;

あるいはこのアミの情報は地球時間に変換した500年なのかな?

バシャールはいまの地球人の肉体でも300年くらいは生きることができると言っています。

……ということで

思考が愛のために奉仕しているときにはたいくつというのはありえない。

ということですね。

愛=命 であるのなら

愛は変化であり創造であり

変化し創造するものに退屈は存在しないのでしょう。

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