物理的現実とは何であるかを定義付けしたり、実際にこの物理的現実を創造することは、本質的な存在そのものであることや概念そのものであることからの分離を意味する。:バシャールと宇宙連合

バシャールと宇宙連合による本『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』の21~22ページにはこうあります。

この物質世界においてさえ、皆さんは概念そのものなのです。知性を持っているという概念、物理的現実とは何であるかを定義付けしたり、実際にこの物理的現実を創造することは、本質的な存在そのものであることや概念そのものであることからの分離を意味しています。そして結局、存在そのものの中で、「自分とは時間と空間の中に存在する何かである」という観点を創り出します。皆さんはこの物理的現実という観点を、大いなる全てが自らを映し出すための様々な方法に加えるもうひとつの手段として創り出しました。ただ単にそのような見方を創り出すことも可能だというだけで…。

文章としては意味は通じますが何を言っているのか分かりません。

というのが率直なところです。

まず、私達が概念そのものであるというイメージが湧きません。
それってどういうことなんだろう?って感じです。

より上の次元、非物質世界に知性は存在しないようなので、物質世界に存在していると思われていた知性というのは、単なる概念上のものと言うことでしょうか。

本質的な存在そのものあるいは概念そのものから分離をしないと、物理的現実とは何であるかを定義づけたり、実際にこの物理的現実を創造できないようです。

そして結局は、大いなる全てそのものの中で「自分とは時間と空間の中に存在する何かである」という観点を創り出すことになる。

これがいわゆる、自分という意識、自分というエゴ、なんでしょうね。

私達は大いなる全てが自らを映し出すためのひとつの観点のようです。

観点はいずれ消滅します。(いや観点そのものは状態であり存在とは言えないので初めから観点は存在しないのかも知れません)

いずれ消滅するものは存在といえません。(存在は無にはなり得ないから)

とすると観点である私達は存在しているとは言えないのかも知れません。

(ただ、ひとつの観点が消えたとしても他の観点は残っていて観点全体としては存続していく)

ある見方をすれば私達(エゴ)は存在していない。

何かを見る方法としての観点は存在するが、観点そのものは存在していない。

これが観点だ!という唯一絶対の観点は存在しない。

これこれこういう観点という観点は存在する。

観点そのものは存在していないので観点が存在していると見せかけるためには多くのそして様々な観点が必要となる。

SKY01026

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