人生、つまり、みなさんが経験する現実というのは、みなさんの観念の中にある方程式を証明して見せているのです。
いつもお話ししていますが、この現実というのは、みなさんが自分の中で一番信じ込んでいる観念を映し出す鏡です。
一番強い観念、自分にとってこれならばあり得るだろうと思えるような観念が映し出されてきます。
以上、ダリル アンカ (著), くまり 莞奈子 (翻訳) 『バシャールペーパーバック〈8〉ワクワク、それは人生に活力を与え続ける機関車 (VOICE新書)』P.126より引用させていただきました。
となると……こうやって椅子に腰かけていられるのも、机の上に手を置いていられるのも、パソコンのキーボードを叩けるのも、みんなそういうもんだと信じているから、なんですかね?
だから、スプーン曲げも、他にもスプーンを曲げている人が多くいればいるほど、自分でもスプーンを曲げることができるかもしれないと思えるので、その可能性が増すってことですかね?
椅子に腰かけるのにいちいち確認しません。
椅子は腰かけるもの、昨日も腰かけてなんともなかったから今日もなんともないであろうとの推測、この目に見えている椅子というものは構成されている物質から推測して腰かけても大丈夫だろうと経験上そう言える、だから腰かけよう!そう表面意識的には確認はしていません。
しかし、意識のもっと深くそしてみんなとつながった共通した部分では、椅子に対してそういう様々な定義付けをしているからこそ、こうして椅子にちゃんと腰かけることが可能なのかもしれません。
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