このように、大いなる全てからの自己の分離という否定的な側面を見せてくれる「救世主」という考え方も、自己の完全性を測るものさしとして、その目的を果たしていると言えます。皆さんが救世主と呼んでいる存在が説いてきた生き方を、実際に生き始めることを自分に許していいことに気づいてください。
以上を、バシャールと宇宙連合 (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.61より引用させていただきました。
考えようによっては、「救世主」という概念自体が不必要なものだった。
しかし、存在しなくても良い「救世主」という概念でさえ、肯定的に使うことができる。
「救世主」という概念を採用するということは、その前提に、大いなる全てからの自己の分離というのがあるんでしょうね。
「救世主」という概念をどういうレベルで捉えるかによって、自己がどれくらい大いなる全てから分離しているか測ることができる。
救世主を頼ってすがるのではなく、自分が救世主(のように)を生きる。
自分が自分の救世主となる……とでも言えるでしょうか。
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