時間が実際は存在せず、幻想だとしたら、「動き」というものも幻想なのです。
なぜなら、この三次元においては、「動き」はある時間帯の中での変化を表しているからです。
以上、ダリル アンカ (著), 北村 麻紀 (翻訳) 『バシャールペーパーバック〈7〉ワクワクとは、あなたの魂に打たれた刻印である (VOICE新書)』P.208より引用させていただきました。
過去・現在・未来が同時に存在することをイメージするもうひとつのアプローチ法が、この引用した方法だそうです。
時間がないのと同様に動きもないんだとか……。
たとえば、手を右から左に移動させたとします。
この場合、移動開始の右にあった手から、移動終了の左にある手の間には、手の置くことができるポジションが無限にあります。(手と手の間を拡大していけば無限に拡大できる)
これらのポジションは、すべて同時に存在しています。
同時に存在しているさまざまなポジションのひとつにみなさんの意識がフォーカスされたとき、時間や動きの幻想が生まれるんだそうです。
動きの幻想は、マインド、意識を通してつくりだされる。
「これが今の瞬間、そして、こちらがまた別の今、また別の今、別の今……というふうに腕の動きがつくられていきます。」同書P.209
……とは言われても、到底頭では理解できませんが……。(^-^;
時間も動きも幻想だなんてねぇ。
時間も動きも幻想だったら、世界旅行も幻想、オリンピック記録もたんなる幻想……
そうです!すべて幻想です。
ちなみに、幻想を広辞苑で調べると
「現実にないことをあるように感ずる想念。とりとめもない想像。」
では、存在ってなに?ってことになりますね。
この現実世界が幻想であり、存在しないものなら、存在ってなんだろう?ってなります。
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