「存在」の完全性そのものを体験することは可能であるにも関わらず、それを説明することは多くの場合、本質的にできないものなのです。 by バシャールと宇宙連合 : バシャール初期の傑作『ニュー・メタフィジックス』

「存在」の完全性そのものを体験することは可能であるにも関わらず、それを説明することは多くの場合、本質的にできないものなのです。

以上を、バシャールと宇宙連合 (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.22より引用させていただきました。

皆さんの様々な考え方、例えばそれが宗教であったり、それらに基づくどんな定義付けも、それらは単に全体の中のひとつの考え方、ひとつの見方に過ぎず、他のものとの差別化であり特殊化に過ぎないとバシャールは言います。

ところで、体験と思考の本質的な違いって何なんでしょうね。

思考は現実とはまったくかけ離れて、しかも独立して存在できるが、体験の場合は外部の現実との接触が必須であり、外部との何の接触もない体験があるとすれば、それは妄想ということなのかも知れません。

ということで、体験の方が思考より、他のものとのつながりが強いように思えます。

あっそうか!

自転車に乗るという体験は、おそらく説明が不可能です。
もし、自転車に乗るという体験が、完璧に説明可能であるのなら、説明書だけで自転車に乗れるはずです。

しかし、実際は、実際に自分でペダルを漕いで、自転車を倒したり転んだりしながら、やっと自転車に乗れるようになります。
誰かの説明だけでは自転車に乗れるようにはなりません。

そう言う感じに近いのかも知れません。

「思考」あるいは「知性」こそが、最高度の分離、ということなんですね。
体を動かさずただ考えている状態は、「存在」から一番分離した状態と言えそうです。

存在 → 知恵 → 観念 → 感情 と来て、最後に 知性 が来るのが理解できた気がします。

DES01021

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