(カルマとは)大いなる自己またはオーバーソウル自身がどのような体験をしたいかというある決まった傾向や方向性がもつひとつの慣性です。すべてのカルマは自ら自分に課したもので審判ではありません。 by バシャールと宇宙連合

Karma カルマ、業

大いなる自己またはオーバーソウル自身がどのような体験をしたいかというある決まった傾向や方向性がもつひとつの慣性です。すべてのカルマは自ら自分に課したもので審判ではありません。バランスがとれているかどうかの認識に過ぎません。皆さんが自ら実践し体験している概念を認識するためのものです。そしてまた、物理次元において、自分が体現しようとしている概念は何なのか、今している体験の元にある観念は何なのか、自分にさせたい体験を実際に許すためにどのような状況を選択しているかを見せてくれるフィードバックの手段なのです。

以上、ダリル アンカ (著), 関野 直行 (翻訳) 『ニュー・メタフィジックス―世界を創る意識の力学』P.42より引用させていただきました。

これはきっと

運命とは単に、皆さんのオーバーソウルまたはより高次な意識部分がその自由意志によって、皆さんが人生の中でどのような出来事を体験するかを選択したことの反映なのです。 by バシャールと宇宙連合

同書P.36にある「運命は高次の意識の自由意志だということです。そして、その運命をどのように満たしていくかという方法論を決めるのが、この肉体レベルにおける意識の自由意志に任された特権なのです。」

が関係してくるんだと思います。

運命の性質あるいは性格が、カルマと言って良いのではないでしょうか。

だからどういうカルマが与えられるのか、この物理次元では選ぶことが出来ず、そこに自由意志と言うものがない気がしますが、実は、自分自身の高次の意識が自由意志で選択しており、トータルに見れば、すべては自分の自由意志で選択した、ということになります。

そしてカルマはただ単に、「与えたものが受け取るものである」という宇宙で唯一の法則のバランスを取るためのものであって、引力のような単なる物理現象に過ぎないのでしょう。

この地球に、ある環境のもと、ある特定の特徴をもった肉体として存在するのは、運命であり、変えることはできませんが、その運命でさえも自分の中のもっと高次の意識からみると自由に選択した結果のひとつに過ぎないということですね。

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