あらゆる儀式、あらゆるツール、あらゆるテクニックは、「自分自身になってもいいよ」という許可を自分に与えている方法だと理解することです。
たとえば、瞑想に惹かれるかもしれないし、ヨガに惹かれるかもしれない。または、絵を描くことに惹かれるかもしれない。もしくは、浜辺を散歩することに惹かれるかもしれない。人によって惹かれるものは違いますが、そのすべてが同じ目的を持っています。
それは、「もっと本来の自分自身になっていいんだよ」という許可を自分に与える、ということです。
以上、須藤 元気/ダリル アンカ (著), 須藤 元気/尾辻 かおる (編集), 大空 夢湧子 (翻訳) 『バシャール スドウゲンキ』P.133より引用させていただきました。
スドウゲンキさんが、この本の中で、スピリチュアルな知識はもう腹一杯だとバシャールに告げると、スピリチュアルな言葉を学んで来たあなたはそれを今度は行動に応用しているところなんだと、バシャールは言います。
あなたは、言葉を学ぶことにはもうワクワクしていない。応用することのほうがワクワクするでしょう……と。
これって私自身にも言えます。
知識だけだと、腹一杯になって消化不良みたいになってしまいます。
バシャールの知識を求めるのが、人生のすべてであるような、そんな感じにさえなってしまいます。
持っている知識を具体的な行動に適用して初めて理解ができるそうです。
自分のスピリチュアリティの表現として行動する。その行動が大事だそうです。
そして、その具体的な行動とは
「情熱に従って行動する」というのが全般的な答えだそうです。
たとえば、瞑想なら、それは情熱を表現するたくさんの方法のうちの一部分、ひとつのアイデアですとのこと。
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