(ネガティブな感情を癒すことによって許しが起きた場合)許しとは、言い換えれば、起こったことを個人的にとって自分のせいだと思い詰めないこと、そして、自分を責めないということです。
以上、本田健 (著), ダリル・アンカ (著), バシャール (著), 江藤ちふみ (編集), 島田真喜子 (翻訳) 『未来は、えらべる!』P.154より引用させていただきました。
しかし、とバシャールは以下のように続けます。
許すからといって、相手の行為をよしとするわけでも、その行為に対する相手の責任がなくなるわけでもない。
「責任」と「許し」は、別のものですと。
許しとは、「その状況を正しく理解する」という行為。
そして、「その状況に対する判断をゆるめる」ということだそうです。
例として次のように言います。
戸棚に陶製のティーポットがあります。
地震が起きて、ティーポットが床に落ちて粉々になりました。
あなたは、その粉々になったティーポットを見つけ、かけらを拾おうとして手を伸ばす。
そのとき、とがったかけらで指を切ってしまったとします。
あなたは、それを自分のせいだと思いますか?
虐待をする人、怖れている人、機能不全の人を、壊れたティーポットだと思えば、ときどき指を切っても自分のせいだと思う必要はなくなります。
許しとは、「パーソナルにとらないこと」、そして、「批判をゆるめること」。
だからといって、相手の責任がなくなるわけではなく、その人は自分自身を修復する方法を自分で見つけなければならない……とのことです。