起きたこと自体には意味はありません。
「起きたことにどんな意味を持たせるか」によって、その出来事から受け取るものが決まるのです。
以上、本田健 (著), ダリル・アンカ (著), バシャール (著), 江藤ちふみ (編集), 島田真喜子 (翻訳) 『未来は、えらべる!』P.79より引用させていただきました。
このことをバシャールの言うように現実は夢だと仮定して考えてみることにします。
夢で起きたこと自体にも意味はないということになります。
でも、夢で起きることには、なんらかの原因が存在すると考えられます。
現実世界で心配ばかりしていると、それが起こってしまう夢を見る、というような。
だとすると、原因があって結果があるというのは、ただそれだけのことであって、特に意味はないということになります。
リンゴの木からリンゴが落ちたとき、リンゴに引力が働いてリンゴが落ちたが、ただそれだけのことであって、リンゴが落ちたことに意味はない。
もしリンゴが落ちたことに不吉であるとの意味を与えれば、不安を生み出し、その不安を解消するためになんらかの行動を起こすかもしれません。
もしリンゴが落ちたことが天からの願いの成就のサインだと見れば、今度は逆に、嬉しくなってくるかもしれません。
あるいは、高次の自分がそれを起こそうと思い、そしてそれが起こった時、起こすことに意味はあったが、起きたことには意味がないと言えるのかもしれません。起こすのは現在で、起きたことは過去、過去は常に中立なのかもしれません。
もうすでにそうであるものは、意味を持ちえないのかもしれません。
起きたこと自体には意味はないが、起こそうとしたときには意味はあった?