テレビドラマ『泣くな、はらちゃん』と宇宙存在バシャール!

『泣くな、はらちゃん』をバシャール的に観ると、とっても面白いですね。

たったひとつしかないプライム・パーティクルが動きまわることによって、この宇宙の中のあらゆる物質、物体ができているのです。 : バシャール スドウゲンキ

これのイメージがいまいち湧かなかったのですが、このドラマを観て、イメージがハッキリしました。

たったひとつのものが動きまわることで、宇宙のあらゆるものが創られる?と疑問に思っていたのですが、漫画家がたったひとつのペン先から、あらゆる物語を創り出している現実に気がつけば、バシャールの言っていたことが、ここにあったのだと分かりました。

漫画の世界は、そのどこをとっても、たったひとつのペン先です。
それが連続して漫画という世界を構築しています。

ミクロの目で見ればおそらく、たったひとつのペン先が描く小さな点の連続が線となり面となり立体となり様々な宇宙を構築していると思われます。漫画と言う宇宙のどの点を取っても同じひとつのペン先が描いたものです。

さて、このドラマの面白いところは、漫画の主人公である「はらちゃん」が、自分は漫画家でもあるということを忘れているところです。「はらちゃん」は、漫画の主人公であると同時に作者の分身でもあります。

だから、ドラマの中で、「はらちゃん」が、世の中の何も知らなくて、何でも聞きたがるのはおかしいのです。
はらちゃんは、漫画家である作者でもあるのですから、本当は何でも知っているのです。
でも、それを忘れている。

でも、忘れていたからこそ、それを知った時に、とっても喜べる。
ドラマの中でも、何でもない食べ物を食べて物凄く美味しいと大興奮します。

まさに、バシャールの言うこれです。

自分が「大いなるすべて」だということを忘れることによって、それを再発見したときにびっくりすることができます。自分自身に対する新しい観点を発見することができます。そのような発見のしかたしかできないのです。 by バシャール

もうすでに知っていることを忘れることによって、新鮮な感動を”味わう”ことができる。

漫画のキャラクターである「はらちゃん」は、このドラマにおいて、自分が漫画を描いている作家でもあるという事実を忘れることによって、キャラクターとして漫画家から分離して独立して存在することが出来ました。

そもそもテレビドラマ自体が、忘れることによって成り立っています。
テレビドラマのキャラはすべて一人の作家さんの分身です。
どんだけバラエティーに富んだいろんな人が登場して来ても、それはひとりの作家さんが創り出したキャラに過ぎません。
どんなドラマも、たった一人(作者)がいろんなキャラを演じているに過ぎません。

しかし観客は、ドラマを真剣に観ているとき、それを忘れています。
忘れているからこそ、ドラマは面白いのです。
同じ人が全部のキャラを演じていたら、さっぱりドラマは面白くないでしょう。

分離とは、あなたがすべてを創り出していることを忘れている状態。もしくは、あなたがすべてを創り出していることを忘れることが可能な現実を創り出している状態です。 by バシャールと宇宙連合

「大いなるすべて」が「大いなるすべて」であるためには、それ自身の中に「大いなるすべて」であるということを「知らない部分」を持っていなければなりません。by バシャール

「大いなるすべて」自体が自分が「大いなるすべて」であることを忘れてしまう経験は、「分離」と呼ばれます。それによって、「大いなるすべて」は分離を経験することができます。by バシャール

ドラマのキャラクター「はらちゃん」は作者を神様だと思い崇めていますが、実は「はらちゃん」も作者がキャラクターを通して演じているだけなので、はらちゃんと作者は同一人物です。すなわち「はらちゃん」は神様でもあるのです。

でも、「はらちゃん」が自分は本当は神様であることを、完全に忘れているからこそ、ドラマは面白いし、感動するのです。

さらに、漫画家の立場で考えても、漫画家がキャラクターを描くとき、漫画家は漫画家であることを忘れているはずです。
一時的に漫画の中のキャラクターに漫画家がなることによって、そのキャラクターは命を吹き込まれるのです。

漫画家も漫画家であることを忘れてキャラクターになりきらなければ、良い漫画は描けません。
神様が自分は神様であることを忘れるからこそ、キャラクターは生き生きしているのです。

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