すべての痛み、苦しみ、病気は、自然な本来の自分になることに抵抗することから生まれてきます。自分自身が非常に疲れるのは、本当の自然な自分に一生懸命抵抗しているからです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.211より引用させていただきました。
思考実験としてもし人間が動物になることが自然であったとしたら……
ある種の動物の中にはオスがハーレムを築いて、それ以外のオスは、メスを手に入れることができないようなそんな自然もあるようです。でもハーレムを築いたオス以外のオスが、未来に絶望して自らの命を絶つというのはありません。
それはおそらく、それがありのままの自然であり、そこに特に意味はないからでしょう。
それはそういうものであって、それが自然の摂理、あるがままの自然です。
もし、そういう世界で、メスを手に入れることの出来なかったオスが、自分の不幸を嘆いたり他のオスに嫉妬したり、そうやって自然の均衡を乱そうとしたら、そのオスは非常に疲れると思います。病気になってしまうかもしれません。
あるいは魚類の中には、他の魚類に食べられることを見越して多くの子供を出産する魚もいます。
自分の子供が他の魚に食べられる……見方によっては、酷く残酷で救いようのない状況です。
でも、母親の魚が悲観して体を壊してしまうという話は聞きません。
じゃあ人間という動物にとってどういう状態が自然なのでしょう?