他人が意図的にあなたに否定的なものを与えたとしても、あなたがそこに肯定的なものを見ようとすれば、あなたは肯定的なものしか受け取ることができません。表面に見えるものはシンボルです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.84より引用させていただきました。
そして、「今までこれはこう見るのだと教えられてきたものが、そこに見えるだけなのです。本当はそれをどう見るか、自分で選択することができます」と続きます。
ここで面白いのは、たとえその他人が、本当に意図的に否定的なものを与えたとしても、それを肯定的に見れば、肯定的なものしか受け取らないことです。
ここでは相手の意図はまったく関係ありません。
関係あるのは相手の態度です。実際に物理的現実に現された相手の振る舞いだけです。
そもそも相手の振る舞いは目で見ることができますが、相手の意図は目で見ることができません。
この点でも、相手の振る舞いからその意図を探っても、あまり意味がないのかもしれません。
どっちにしても、自分の作った相手像しかそこには存在しないのですから。
虚像を相手にどうのこうのしてもまさに虚しいのかもしれません。
だったら、相手の意図とは無関係に、相手の振る舞いを良い方に解釈して、良い気分でいた方が断然お得なのかもしれません。
表面に見えるものはシンボル……相手の振る舞いを見て、経験上、相手はこういう意図でそれを行なったに違いないと私達は判断する。その判断はそれまでに学習してきたものです。
そのシンボルを今まで学習してきたとおりに解釈するのか、自分が新たにそして自由にかつ肯定的に解釈するのか、その選択権は自分にあります。