この世界では、小さい頃から何々しなければならない、「ねばならない」ということをたくさん与えられてきました。
自然に自分に流れ込んできたアイディアに耳を傾けないで、社会の要請にちょうど合うようなものを探します。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.210より引用させていただきました。
この何々しなければならないという「ねばならない」という呪縛はありますね。
大抵の行動動機はそれだったりします。
しかも、その「ねばならない」には、本当にそれを自分がしなければならないことも実際あります。
自分がそれをしないと確実に事態は悪い方向、あるいは事態が好転しないということは、絶対的に存在します。
たとえば自分の家の前の雪はねはしなくてはならないもので、もしそれをやらないと、確実にこの冬の間、そこに道はありません。
冬なのに自然と融けることはなく、他人が代わりに雪はねをしてくれるというのもあり得ません。
あるいは、食事はきちんと一日三食摂らなくてはならないと考えるとき、別に一日一食でも二食でも、特に問題はなかったりします。
あるいは、ある人にとって義務と感じることがある人にとってはワクワクすることである場合もあります。