あなた方の社会に生きている人達は憎しみが愛の反対語だと思っていますが、そうではありません。罪悪感というのが本当の愛の反対語に位置されるものです。 : バシャールの学校

まず第一にわかっていただきたいのは、あなた方の社会に生きている人達は憎しみが愛の反対語だと思っていることです。
そうではありません。
罪悪感というのが本当の愛の反対語に位置されるものです。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』P.20より引用させていただきました。

無条件の愛とは、絶対の価値観を理解し、内面的にも外面的にも、すべてのレベルにおいて自分が価値のある人間だと認めること。

一方、憎しみは、誰かや何かに対してのある程度の価値判断が入っている。
しかし、罪悪感は一切の価値判断を持っていない。

そういう意味で、罪悪感は愛の反対語になると、バシャールは言います。

この意味で言えば、愛の反対語は無関心であるとも言えるのでしょうね。
全く関心を示さない → 一切の価値判断を持たない → 無価値であると見る見方

「喧嘩をするほど仲が良い」というのも、そういうことなんでしょうね。
相手に対してまったく関心がなければ、喧嘩も起こりません。

タイトルとURLをコピーしました