はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。 : 新約聖書をバシャール的に読んでみる

はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

以上、『紙装 中型新約聖書』P.51より引用させていただきました。

マタイによる福音書25章31節から45節にかけては、イエス・キリストが王として戻って来た時に、民を選別する話が書いてある。

主は民を二つに選別して片方のグループに祝福を与える。

お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが乾いたときに水を飲ませ、旅の時には宿を貸し、裸の時には服を着せ、病気の時には見舞い、牢にいる時にはたずねてくれた。私の父に祝福された者たちよ、国を受け継ぎなさいと。

すると、正しいグループに分けられた人達が怪訝な顔をする。
主よ、いつわたしたちは、それらをあなたにしましたか?

それに答えたのが、この引用した部分です。

このいきさつだけで、ひとつの壮大なドラマ出来てしまいそうなほどドラマチックです。

全知全能が神の属性なら、誰に対して行った行いもすべて神は知っているでしょうね。

これをバシャール流に言えば、すべてはひとつであるので、他人になしたことは自分になしたことと同じである、とでもなるのでしょう。

それにしても、自分以外のみんなの中に神を見ると言う考え、もちろん自分の中にも神性は存在するだろうけど、こういう考えが2000年以上前にすでにあったというのは、驚きです。

他人にしたことは、実は神にしたことと同じだと知れば、日常生活の中でも生き方が変わりますよね。

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