私たちが「受け入れる」という言葉を使っているときに意味するところは、「自分の人生で起きる、ありとあらゆる出来事はすべて自分自身のものだと自覚する」ということ、「出来事に対する所有意識を持つ」ということです。
以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリント』P.77より引用させていただきました。
起きることはすべて自分の意識の一部であると見なすとのことですが、「意識は肉体の中にはありません。肉体が意識の中に、その一部としてあるのです。 by バシャール」との記事からしても論理的にそうなりますね。
肉体は常に意識の中にあるのだから、肉体が起こす出来事もすべて意識の中で起こっていることになります。
人生の中で起きてくることはすべて自分の意識の中で起きている(同書P.77)
起きることはすべて自分の意識の一部だと見る見方とは、人生に起きてくるどの部分も、自分とは関係ないと否定したり、切り離したりしない、ということ。まずは全面的に許容するということです。(同書P.77)
……ということはですよ。
出来事というのはすべて自分の意識の中で起きていることになりますよね。
つまり、出来事というのは夢である……。これでつながりますね。
ああ、そうか、もしこの自分が生きている現実が夢であるなら、すべては自分の責任と言うことになります。だってすべては意識、無意識も含め、自分が創造しているからです。
なので、言葉をかなり飛躍させると、「受け入れる」とは、現実は自らが創造した夢であると認めること……そうなりますね。
だから、私たちは創造主であるのですね。
現実が夢であるなら、私たちは全能の神と言っても過言ではありません。
全能でありすべてを創造したわたし=神
その前提として、世界は自らが生み出した夢である……というのがありますが……。
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