だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
以上、『紙装 中型新約聖書』P.8より引用させていただきました。
バシャールの言うように現実と言うものが私たちが創造しているものであるならば、だれかに右の頬を打たせたのは、自分自身ということになります。
もし、右の頬を打たれて、腹を立てて、殴り返したなら、そこからまた新たな現実を創造することになる。
では、左の頬を向けたときは、どうだろう?
それは、自分の創った現実をただありのままに受け入れることになる。
あるいは自分の創った現実をただ観察すること、とも言えるだろう。
これは、現実という外側に反応するのか、それを創造した自分の内側を見つめ直すのか、その違いとも言えるでしょう。
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