施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。 : 新約聖書をバシャール的に読んでみる

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。

以上、『紙装 中型新約聖書』P.9より引用させていただきました。

昔からの疑問。

愛せば愛されることを知っていて、そのことから人を愛するのは、本当の愛だろうか?

というのがあった。

愛は本来、無条件のはずだ。

愛されることを期待して人を愛するのは、条件をつけていることになる。

それではおかしくないか?

これに対する最近得た答えはこうだ。

人はバシャールの言う宇宙の法則どおり、与えたものを受け取るのだろう。

だから、愛されることを期待して愛しても、愛されるだろうし、まったく期待なしに愛しても、愛されるだろう。それは法則どおりだ。

ただ、そのレベルが違ってくるのだろう。
地のレベルで返ってくるか、それとも、天のレベルで返ってくるか、その違いなのだろう。

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