私たちの文明では、いわゆる救世主という言葉はあまり使いません。なぜなら、そもそもみなさんには救済の必要はないからです。そしてまた、誰も他人を救済することはできないからです。 : バシャールの学校

私たちの文明では、いわゆる救世主という言葉はあまり使いません。なぜなら、そもそもみなさんには救済の必要はないからです。そしてまた、誰も他人を救済することはできないからです。 : バシャールの学校

すべての人は《創造》の中で神の子です。
私たちはみなさんが「神」と呼んでいるものを《大いなるすべて》と呼んでいます。
私たちの文明では、いわゆる救世主という言葉はあまり使いません。
なぜなら、そもそもみなさんには救済の必要はないからです。
そしてまた、誰も他人を救済することはできないからです。

以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.79より引用させていただきました。

いまふたたびこの言葉に出会ってみると、その意味の深さを感じます。

救済という観念自体に、なぜなら自分は外の現実に運命を翻弄されているからという前提が見え隠れしています。
さらに自分が不完全であるからこそ救済が必要であるとも暗に示しています。

また、救済される人がいれば救済する人もいることになります。
いままでバシャールを学んできたように、他人は救済できません。

現実というのは変えるのではなく、変わるのです、自分が変わることによって。

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