みなさんの物理的な現実は、どの瞬間も、一人ひとりの意識の波動がまったく正確にそのとおり映しだされているのです。 : バシャールの学校 – バシャール ゴールドより
みなさんの物理的な現実は、どの瞬間も、一人ひとりの意識の波動がまったく正確にそのとおり映しだされているのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『BASHAR GOLD(バシャール ゴールド)』P.27より引用させていただきました。
この物理的な現実は自分の意識でできている。
それがどういうことかと言うと、自分自身を現実として映しだしているということ。
自分自身が映写機となって、現実というスクリーンに、自分自身を映しだしている。
それが現実の正体。
でも
そうだとしたら、他人との関係性はどうなるのだろう?
だとしたら、他人なんてそもそも必要がないだろう。
自分が一人いれば事足りてしまう。
でも
違うんだろうな。
自分一人しかいなければ、ひとつの現実しか創ることができない。
それでは、神である自分は満足しない。
第一この世に一人しかいないのであれば
比較するものが存在しない
言葉なんて不必要
他人は存在する しっかりと他人は存在する
自分という映写機が映し出す映画の中に
他人はちゃんと存在している
他人は他人の意志で
動いている
でも
それだとおかしい
なぜならすべては自分の意識で
つくられているのだから
他人も自分ではないのか?
他人がもし自分なら
他人が存在しないことになる
他人は存在するけどかつ存在しない
自分は存在する
他人は自分の意識で置き換えるんだろうな
それが自分バージョンの他人
そうやって初めて他人とのコミュニケーションが可能となる
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