ドラマ「妖怪人間ベム」をバシャール的に観ると……

ドラマ「妖怪人間ベム」をバシャール的に観ると……

先日の放送で人間になれなかった妖怪人間たちのその謎が解かれました。

ベム、ベラ、ベロには兄弟的な存在がいて、実は生命として誕生するときの細胞分裂で、その存在には人間の悪の心だけが宿り、ベム、ベラ、ベロには善の心だけが宿ることになったのだそうです。

だから、人間になりたいのなら、悪を自分の中に取り入れろと兄弟はベムたち三人に迫る。
なぜなら、人間は善悪を合わせ持つ存在だからだ。

バシャール的には以下のようになる。

「光と闇の原則」――存在そのものの特質 – 光と闇の両方がなければ、何者も存在しない。光と闇が一緒になったものが無条件の愛が持つ固有の波動

でもまあ、厳密に言えば、善悪は相対基準で判断されるが、光と闇は絶対基準で判断可能と考えられるから……

光だけまたは闇だけなら、ここに存在出来ないが、悪だけ善だけの存在でもここには存在可能に思える。

というか一番検証したかったのは、善だけの存在ってありえるのだろうか?だ。

そもそも善悪は相対的なものであり、場所と時代によっても善悪は変わる。
そのような相対的な善悪というものは、完璧な何も混じらない善と悪として存在できるだろうか?いやできない、できるとしたら限りなく善か悪に近い存在としてだろう。

それにしてもイメージの上でも、完全な善というのは思い描くのは苦労する。
というのは偽善という代物がある。偽善が悪だとすると、本人が善だと思っていても見る人から見ればそれは悪になり得る。

誰かにとって悪であるなら、それは完全なる善の崩壊を意味する。

ゆえにこの観点からしても、完全な善というのはあり得ない気がする。

以上、ドラマをヒントに完全なる善に関して思考してみました。

des01035

コメント

タイトルとURLをコピーしました