情熱に従って生きることに関して、みなさんは一般的に次の三つの怖れを持っているようです。
・「情熱に従って生きると自分の存在がなくなってしまうのではないか」という存在に関する怖れ
・「情熱に従って生きると死んでしまうのではないか」という死に対する怖れ
・「情熱に従って生きるときわめて困難な状況になるのではないか」というパーソナリティの死、もしくはスピリチュアルな意味での死に対する怖れ
以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリント』P.37より引用させていただきました。
死に対する怖れは、たとえば登山がワクワクするからと言って難しい山を登れば当然死の危険が増します。
パーソナリティの死とは、今の仕事を投げ出して、もっとワクワクすることに飛び込んだら、自分の人生がそこで終わってしまうのではないか、そう思ってしまいます。
一番最初の存在に関する怖れとはなんでしょう?ちょっと今の段階でハッキリはわかりませんが、自分を失うってことではないかと想像します。ワクワクする自分になったらそれは本当の自分ではない気がするのです。ワクワクしない自分こそが真実の自分だと考えていると、ワクワクを目指すことは、自分がなくなるように思えます。
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