「自分の望む現実を創造する」というとき、問題になるのは、別に、意識の方が物質より優れている、重要であるということではありません。
ここで必要なのは、意識と物質は、本当はひとつのものだ、ということを理解しようとする「意志」なのです。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック6―ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる (VOICE新書)』P.11より引用させていただきました。
自分の望む現実を創造する、という言葉に惹かれます。
なぜなら、自分の望む現実ならそれをここで創造したいからです。
そんなとき必要とされるのが、意識と物質がひとつのものだと理解しようとする「意志」とのことですが、なんだかまわりくどいように感じます。
でも、どうして「理解」ではなく、理解しようとする「意志」の方が必要なのでしょう?
意識と物質がひとつのものだと理解しようとすること自体に意味があるとでも言うのでしょうか?
それともそもそも完全なる理解が不可能だからでしょうか。
この物質次元に生きていながら、意識と物質がひとつのものだと理解するのは、不可能に近いということでしょうか。
だからこそ、継続的に理解するように努めることが大切ってことでしょうか。
それとも……
理解しただけではダメで、それに行動が伴わないと
そのこと自体が、意識と物質がひとつになっていない?
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