みなさんの「自分は誰か」という存在の表現、波動が「ワクワク」です。
自分の存在の周波数を肉体的なレベルに翻訳した言葉が、ワクワクという気持ちになってきます。それがみなさんを導いていく信号になります。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック3―ワクワクするとき、ひとはもっとも多く学ぶ (VOICE新書)』P.206より引用させていただきました。
このブログには何度もワクワクという言葉が出てきますが、ワクワクという言葉をじっくり考えてみると、ワクワクには二種類あるように思います。
ひとつは、現在何かに興奮してワクワクしている状態。
もうひとつは、何かへの期待でワクワクしている状態です。
両方とも現在ワクワクしているわけですが、前者は実際にそれをやってワクワクしているのに対し後者は、未来において自分がそれを実際やったとしてそれをイメージしてワクワクしているわけです。
さらにこの未来における自分をイメージしてワクワクする場合もふたつに分かれる気がします。
一億円の宝くじでワクワクする場合を考えます。
宝くじを買って、その一億円で何かをしている未来の自分をイメージして、現在ワクワクしている。
この場合「期待」という感情は特にない。ただ単に一億円が当たってハッピーな自分をイメージしてワクワクしているだけ。(未来をイメージしているが現在ハッピーであることにフォーカスしている)
次に、宝くじを買って、もし宝くじが当たったらあれもしたいこれも買いたいとイメージしている時は、宝くじが当たるかもしれない期待でワクワクした状態です。
期待を広辞苑で調べると「将来その事が実現すればいいと、当てにして待ち設けること。」となっています。
期待の場合、現在は実現していないけど、と言う前提があります。
(現在はハッピーじゃないけどもし未来において宝くじが当たればハッピーになれるというワクワク感=すこし乱暴に言えば、アンハッピーな現在にフォーカスしている)
当然未来は決まっていないわけですから、実現しない未来もあります。
つまり宝くじが外れた未来が訪れたとき、期待から来るワクワク感は失望感へと変わります。
一方ただ単に宝くじに当たったハッピーな自分をイメージしていまワクワクしている場合は、そのワクワク感は失望感へとは変質しません。だっていまワクワクしているわけですから、未来は関係ないからです。
ということで、期待がネガティブに働くケースというのは、現在という時間においてハッピーな自分にフォーカスするかアンハッピーな自分にフォーカスするか、その違いなんだと思います。
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