憎しみというものは、自分にはそういった価値が足りないと思っている部分なんですが、でも自分にはまだ価値があるんだというのが残っています。
ですから、憎しみは愛と正反対というのではなくて、方向がちょっとよそに行っている、方向性を間違えた愛だということができます。
以上、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳) 『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』P.218より引用させていただきました。
愛の正反対のものには当然愛はゼロだろうから、たとえ方向性が間違った愛だとしても少しでも愛が残っていれば、それは愛の正反対とは言えない。
確かに自分にはまだ価値があるんだというのが残っているから憎しみが生まれますね。
自分にはまったく価値がないと思っているなら憎しみなど生まれるはずがありません。
自分には価値が足りないと思っているから憎しみが生まれる。
しかし一方で、自分にはまだ価値があると思っているから憎しみが生まれる。
自分の中に僅かに残っていたその価値でさえ他人に踏みにじられたと感じるから憎しみが生まれるのでしょう。
憎しみが生まれるということは、自分の中に愛があると言う証拠なのかもしれません。
しかし、その方向性は間違えていますが……。
可愛さ余って憎さ百倍という私たちに馴染みの言葉は、そのことを言っているのかもしれません。
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