みなさん、ひとりひとりが錬金術師なのです。
存在する毎瞬々々がそうです。
毎瞬々々、みなさんは、自分の現実を創っています。
意識の中で、一番強くこうだと信じているものが意識を通して、または無意識のうちに実現化されています。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック6 ワクワクを生きると自然に「いま」を生きられる 』13-14ページより引用させていただきました。
世に言う成功哲学が机上の空論で終わるか否かは、無意識の部分までその哲学が染みわたっているかどうかなんでしょうね。
頭では分かっているが実際は、、、という知識だけで行動が伴わない成功哲学は、無意識の部分までその考え方が行き渡っていないがために成功哲学通りにはならない。
自分が一つの統合された存在だと考えた場合、自分の無意識の中に否定的な部分があれば表面上はいくら肯定的な存在だと自分で思っていても総合的に見ると否定的な存在になってしまう。
つまり頭では分かっているけど、、、というのは、単にそれを否定しているだけのことであって行動の伴わない頭だけの思想はその思想の否定なのでしょう。
行動が伴ってこそそれが分かったと言える。
真の分かったとは無意識の部分でも納得しているということ。
そして実生活では表に出ている意識の部分より無意識の部分の方が力を持っている。
だから世の中には自分の人生が上手くいかないと嘆く人が多い。
無意識の部分の方が大抵一番強く信じている部分であるというのが多い。
というのは人間は自分に都合の悪いものは出来るだけ意識しないようにする傾向があるから。
自分の人生は自分で創っている。
もし自分の人生がどうしてこんなにうまく行かないのだろう?と悩んでいたら、それは自分自身がそういう人生を創っているから。
そしてそんな馬鹿な!と思ってしまうのは、自分が無意識のうちにそういう人生を創っていることに気づいていないからなのだろう。
もはや表面意識なんてどうでも良いのかもしれない。
無意識の方が大切だ。
無意識を如何にコントロールするか、無意識を如何に常に肯定的なものにするか、無意識を含めたひとつの統合された存在として如何に肯定的に生きるかが大切なんだと思う。
成功哲学においてよく出てくる例に、もしその大学に受かりたいなら実際にその大学に行って受かった自分をイメージしてみなさいというのがありますが、あれもきっとそうやって無意識の部分を納得させなさいということなのでしょう。
さらにもしそれを怖れるのなら無意識の部分ではそれを望んでいることになる、そういう無意識におけるシステムが存在する可能性もあるかも知れません。表面意識でそれを怖れるということは無意識においてはそれを望むこと、すべてがそうではないかも知れませんが、気をつけたいものです。
自分が何を一番強く信じているかを無意識を含めてチェックするのが大切に思います。
そして無意識を含めたひとつの統合された存在として肯定的に生きたいものです。
無意識の中に否定的な部分を持たないように生きたいものです。

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