自分の観念を変えれば感情が変わります。そしてそれが想念パターンを変えて、実際にあなたのまわりに起こってくる現実を変えていきます。
以上を、バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある』54ページより引用させていただきました。
観念も想念も具体的にはイメージしづらい言葉です。
観念と想念をネットで意味を調べて。
観念は心に浮かぶイメージで想念は心に浮かぶ思考、ということになるのかならないのか。
何をどう信じるかによって心に浮かぶイメージが変わり、その出来上がった心のイメージに対して感情が反応する。その湧き出た感情に対してどのように対処するか?
様々な考え方のパターンから実際に行動する思考パターンが選ばれる。
考え方のパターンが決まると、同時に行動も決まる。
実際に行動するので現実が変わる。
この場合何もしないというのも行動パターンのひとつとなる。
、、、と以上のような感じではないかと。
何をどう信じるかによって自分が心に抱くイメージは違ってくる。
そして自分の心の中に抱くイメージが変われば、それに対する感情も変わる。
感情が変われば、感情ごとにリンクしている思考パターンも当然変わる。
思考パターン、すなわち、考え方が変われば当然行動も変わる。
行動が変われば現実も変わる。
何をどう信じるかによって心に抱くイメージが決まり、そのイメージに対して感情が発生する。(この場合イメージも現実も変わりない)
大抵の感情にはその後の行動へと導く思考のパターンが付随している。
たとえば外見が怖い人は中身も怖い人だと信じて心に怖い人のイメージを抱いた場合、恐怖という感情が起こり、その人の思考パターンが怖いものは避けるだった場合、向こうから歩いてくる一見怖い人から遠ざかる行動をする。
外見が怖くても中には良い人はいるはずだと信じている人は、心にその人の内面は良い人かもしれないイメージを抱きあまり極端な恐怖心は抱かず、ちょっと警戒する恐怖心という感情を満足させる行動をとる。向こうから歩いて来ても特に避けることはしない。
ひとはおそらく何をどう信じるかによって心に様々なイメージを浮かべる。
そして大抵現実とイメージの世界にそれほど差を感じていない。
日常的に自分でつくったイメージの中の他人の行動に対して喜んだり怒ったりしているはずだ。
一度感情が発生してしまったら大抵は何らかの行動として発散される。
その際に経験上こういう感情の時にはこう対処しよう!という思考のパターンが用意されているはずだ。特に何もなければいつもの思考パターンで感情を発散させるはずだ。
行動として発散されるのは、ただのため息なのかもしれないし、海に向かって叫ぶことなのかもしれないし、ドライブをすることかもしれない、あるいは何もしないことかもしれない。
信じることによってイメージが生まれ、その生まれたイメージに対して感情を抱く。
発生した感情は何らかの行動によってフィニッシュを迎えたいと思っている。
そして感情と行動を結び付ける思考のパターンが人それぞれに複数存在している。
こうやってイメージは現実化するのだろうか。