愛の反対語は罪悪感、自分に対する無価値感が罪悪感。自分に対して正直でない時、自分にとって真実ではない行動をする時に感じるが、そこから学ぼうとすれば肯定的な方向へと変換できる。

バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある』21ページに書いてあることをまとめるとタイトルのようになります。

自分に対して正直でない時、自分にとって真実ではない行動をしている時、自分が無価値であるように感じる。それが罪悪感であり愛の反対語であると言える。

であるなら、自分に対して正直に生きればいいし、自分にとって真実と言えることを行動すればいい。
だがいつもそれが出来るとは限らない。
もし自分に対して不誠実で、嘘の行動をしてしまったとしても、そのことから学ぼうとする態度であるなら、ポジティブな姿勢でいるのなら、肯定的な方向、自分に対して正直な方向へと変えることが出来る。
そのネガティブなエネルギーを肯定的な方向に持っていき罪悪感なし悔やむことなしに先に進むことが出来るようになる。

結局他人に評価されないと自分が無価値であるかのように感じてしまうのが間違いと言うことになる。
社会的には他人に評価されることが価値あることになっている。
それに他人に評価される方が何かと自分にとって都合がいい。

自分が価値ある人間と自分で認めるには他人に評価される必要がある。
つまり自分自身に対する評価は自分では決められない。
自分の価値を自分で決めることが出来ない。

世間一般の価値判断で行くと自分の価値は他人が自分をどう評価するかによって決まる。
他人に高く評価されると自分は価値ある人間だと思える。
だがこの価値観で行くと常に他人の評価を気にしなければならない。
他人が自分の価値を決めるからだ。
他人が自分に対する愛や罪悪感を決めるからだ。

でも実際、ごく一般的に言って、自分の価値を決めるのは他人である。
自分で自分を価値ある存在と決めても、他人がそう評価しなければ虚しい。
他人と比べてその優劣を競う社会では他人との関係性が自分の価値を決める。
他人に認められなければあるいは他人に勝たないと自分には価値がないと思い、罪悪感を感じてしまう。
他人からの良い評価を得るために頑張ろうと思う。
他人に勝つために頑張ろうと思う。
他人から評価されれば自分は価値ある人間だと認められるから。
他人に勝てば自分は価値ある人間だと思えるから。
価値ある自分は望ましい自分だから。

となるとこれもあれと同じか?
先に幸福になるから本当に幸福になるんだとバシャールは言う。
これと同じように、先に自分には価値があると思うから本当に価値ある人間になれる?
価値ある人間と言う結果を先に創れば自分が価値ある人間であるための原因が宇宙から提供される?

いや、それもあるだろうけど

自分に対して正直に生きることが価値あること。
自分にとって真実であることを行うことが価値あること。
そういう価値観なら、そこに他人の評価は必要ない。
バシャール的にはこうなるはずだ。
ワクワク生きることが一番価値のあることだ。
生き生きと生きることが一番価値のあることだ。
それが本当の自分だから。

他人の目、他人の評価は関係ない。勝つ負けるは関係ない。
自分に尋ねるべきは、果たして自分は自分に対して正直に生きているか。
自分にとって真実だと思える道を歩いているか。
この生き方だと他人の評価は必要としない。
自分の価値を自分で決めることが出来る。

タイトルとURLをコピーしました