人はだれも見たり聞いたりするなかで、感覚と心に翻弄され、カルマを積んでしまいます。そういう感覚をコントロールする修行をし、人に積極的に親切にし、布施をし、よいカルマを積むのです。 :『ヒマラヤ聖者のいまを生きる知恵』より

人はだれも見たり聞いたりするなかで、感覚と心に翻弄され、カルマを積んでしまいます。そういう感覚をコントロールする修行をし、人に積極的に親切にし、布施をし、よいカルマを積むのです。

以上を、ヨグマタ 相川圭子 (著)『ヒマラヤ聖者のいまを生きる知恵 (PHP文庫)』259ページより引用させていただきました。

人は感覚と心を持っているので、見たり聞いたりする中で、感覚や心に翻弄されてしまう。
つまりただ生きているだけでカルマは積み重なっていく。

そして生きて暮らしていく中で、それらが時に浄化されたりはたまた増幅されたりするのだろう。
つまりこれはバシャール的に言えば、与えたものを受けとるということだろう。

だからカルマは誰にとっても公平に与えられる。
さらにはカルマをどんどんどんどん積んでいっても誰に責められることもない。
誰に咎められることもないし、罰則もない。

ただ、与えたものは受け取るのが宇宙の定め。
それはみんなに公平に作用するし例外はない。

いずれにしてももし魂が永遠であるのなら、すべてはただそれだけのことであり、永遠から見ればどうでもいいこと(中立)なのかも知れない。

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