光があり、闇がある。
光の中にもちょっとした暗闇があり、また暗闇の中にもちょっとした光がある。
この光の中に見える闇の一点、また闇の中に見える光の一点、これは選択の自由を表しています。
みなさんが選択しさえすれば、光の中にいるときでもいつでも闇とつながることができ、闇の中にいるときでもいつでも光とつながることができる、ということです。
光と闇は永遠にお互いに絡まりあっています。
分かちがたい存在です。
ですから、どれだけ暗い状況に見えたとしても、常に光とつながることができるのです。
これが存在そのものの特質です。
以上、ダリル・アンカ (著), 大空 夢湧子 (翻訳) 『BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリント』P.40より引用させていただきました。
まあ、この引用した部分に特に付け加えることも無いんですが……
読んだとおりですよね。
存在するためには、光と闇の両方が必要で、だからこそ私たちが存在しているということは、私たちの中にも光と闇の両方があるということ。
そして、両方あるのだとしたら、私たちは常にその両方にアクセスが可能だということ。
だから、驚くべきことに、光と闇が一緒になったもの、それこそが無条件の愛が持つ固有の波動だそうだ。
私が思うに、だからこそ何でも否定することが可能なんでしょうね。
全知全能の神だって否定できてしまう。
存在には絶対光と闇の要素が入っている。
違うのはその配合だけ。
どんな存在にも微量から多量まで闇が入っているので、その闇をターゲットにすれば、どんな存在も否定することは可能だってことですね。
コメント