裁き、判断、あるいは良くないことだ、というように否定することは、自分自身を否定しているということです。
(中略)自分の持っているものを人に投影しているということです。
バシャール (著), ダリル・アンカ (著), 関野直行 (翻訳)『バシャール・ペーパーバック2―人生の目的は「ワクワク」することにある (VOICE新書)』61ページより
少し乱暴に言えば、その他人と同じ様なことを今なお自分でもしているから、それを否定的だと思うことができる。
なんの予備知識もなくなんの先入観もなくその他人を見ることができればなんの判断もわかない、あるがままの中立で見ることができたなら裁きというのは起こってこない。
自分が今もそうであるからこそ他人がそうであると判断したり裁いたりすることができる。
自分の中にまったくそういうものがなければ、当然他人に対しても判断や裁きの感情が湧いて来ようがない。
この場合想像も現実も違いはないというバシャールの言葉が効いてきます。
さらにということは他人を許すことは自分を許すことだとも言えそうです。
そして無条件の愛こそがそれをなす。
他人を肯定することは自分を肯定することでもある。
もちろん(他人も自分も傷つけないという)統一性は常に必要です。
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