YouTubeのバシャール:「バシャール関野あやこ次の地球へPart1」 – 内側の意識が「どんな状態にあるか」という在り方、状態が大切

なにげなく目にしたこのYouTube動画ですが、見てみると、ちょうど今日学んだ部分が出ていました。

バシャールの助言:最高の情熱、ワクワクに従って生きるとき、みなさんの内側の意識が「どんな状態にあるか」という在り方、状態が大切なのです。どんな形で現れるかという外側ではなく。

こちらは鏡ではなく、スクリーンに映った映画のたとえでした。

この動画を見ていてあらためて思ったのですが、もしバシャールの言うことが真実なら、私たちが現実だと考えているこの物質世界は、本当は夢なのだと言えます。

物質世界は幻想であり、物質世界は存在しない。

そういうことになります。

すべては自分の中の映写機の中にあり、それを中立というスクリーンに映し出しているだけ。スクリーンの前に手をかざせばスクリーンには黒い影が映る。

黒い影というのは物質世界における超常現象的な部分でしょうか?

でも、「スクリーンの中に手をかざすことによってそこには何もなかったということに気づく」とバシャールは言っているので、超常現象とは違うかな。

思考の中断?あるいは一時的な死?
それがスクリーンにかざす手に該当するかな。

ん?

「影も真実を語るものだということに気づいてください」とのことですね。

スクリーンにかざす手とは、光に対する闇のこと?
ネガティブさのこと?

ネガティブの極まったものが「死」だから、死は物質世界が幻想=夢であることを、教えてくれる?

外には何もなく、すべては私たちの中にある……。

ふむ~という感じですね。

すべてが中にあるのなら、私たちは存在しないものに脅えていることになる。
あるいは、自分がスクリーンに映したものを見て脅えていることになる。

存在しないものに右往左往して、自分が好きで映している映画に不満を感じていることになり……実におかしくて滑稽なことです。

本当は、自分の外では何も起こっていない……。

何も存在しない「外」ではなく、すべてが存在している自分の「中」にフォーカスする。
それが大事と言うことか……。

現実と「何を」くっつけていたら「どこに」戻れないのだろう?

現実は中立=映画のスクリーン

……だから、現実と本当の自分をくっつけていたら、本当に自分には戻れない
……ということかな

感じているのは自分の中だけで、その感じていることに「判断」は要らない

なぜ要らないのだろう?

いま感じているバイブレーションが「キー(鍵)」

自分の中を扱うと
様々な感情をただのバイブレーションとして感じられるようになる

自分の外側が存在しないのであれば、自分対他人という関係性も当然存在しないことになる。

しかし、関係性は存在しないが、他人との関係性という経験は存在するのだろう。

まあ、とにかく考えれば考えるほど頭が混乱してきます。(^-^;

さて、外側が存在しない世界を考えながら眠りに就こうと思う。
それではまた明日……。 🙂

mal03007

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