「まじめに」と、頭から入ろうとすると、なにを聞いても、なにも見ても、心で感じとることはできないんです。
以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の28ページから引用させていただきました。
この本のキャッチコピー「まさか、まじめに生きなきゃなんて、思ってませんよね?」の「まじめに」とは、まさにこの「頭から入る」ことを言っているんでしょうね。
その意味では、真面目に生きるとは、頭で生きるということになり、心では生きていないことになるんでしょうね。
だから、頭で生きることは、心との分離を意味する。
頭で生きていると、まさに心のどこかに、「なんか違うような気がする」という気持ちが残っている。
頭で生きると頭と行動も分離している。
心で生きるとひとつの統合された存在としてすでに行動している。
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