「ハッピースイッチ」をオンにする方法 – やん神を読書

生まれてきたのは「楽しむ」ため。すべてを味わいつくして、どんなときも、どんなことも「楽しむ」ため。そんなふうに腹がすわると、それまで機能していなかった心が動き出し、愉快脳が働き始めます。

以上を、金城幸政さん著 『あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法』の74ページから引用させていただきました。

これまでの記事で「愉快脳」を使うとどんな良いことがあるか紹介してきました。

そしていよいよ、その具体的な方法の登場です。

希望が前提である愉快脳に変われば、病気は逃げて行くし、苦手な人、嫌な出来事も寄せつけず、楽しいことばかり引き寄せるようになる。

それが愉快脳を使うことの良いところ。
まさに完璧ですね。(^_^)

ワクワクとした楽しいことばかりの日常。
素晴らしいです。

お笑い番組が時に不謹慎なことを言うのになぜ笑えるのか。
それは、お笑い番組を見る時には、よーし笑うぞ!という前提で見ているからだと著者は言います。

だったらこの世もお笑い番組を観ているかのように、楽しむという前提で、生きてみたらどうでしょう?と著者は提案します。

人生をお笑い番組だと考えて、よーし今日は笑うぞ!今日は人生を楽しむぞ!
とそういう前提で生きれば、それまでとはまた違った日常がそこにあるでしょうね。

バシャール流に言えば、意味づけを変える。観念を変えるということですね。
すべては中立で初めから決まった意味などないのだから、自分が自由に意味づけて良いのです。

だとすればバシャール的にも、人生をお笑い番組と意味づけるのは、全然ありです。

人生をどう意味づけるかはその人のまったくの自由です。

なぜ人生を笑い飛ばせないのか?著者はこう言います。
笑いは心をひとつにし、自分の立場を消してしまうからだと。

愛と同じようにすべての境界を消し去るのが笑いであり、
だから自分が消えてしまいそうで怖いんだそうです。

そして先頭の引用した文章へと続きます。

不快脳が働いているときは、頭で聞いているとき。
楽しもう、笑おうと思うときは、心で聞こうとしている。

楽しもう、笑おうで、心で聞こう、心で感じようとするとき
心にスイッチが入り、魂に躍動感が出て、笑顔、ユーモア、前向きな気持ちがあふれてくるそうです。

著者はこのスイッチを、「ハッピースイッチ」と呼んでいます。

……ということで私なりに解釈すると

ハッピースイッチとは、人生に対する心構えを切り替えるスイッチと言えそうです。

人生を楽しもう笑いと共に暮らそう、とそういう前提で、そして実際にそのように生きた時
ハッピースイッチが入るようです。

お笑い番組を楽しむ時の様に、さあ今日はお笑い番組を観て楽しむぞ!
という前提で人生を見た時に入るのがハッピースイッチなのでしょう。

いやあ~これわかります。(^-^;

私の場合人生は物事の本質を追及する場であるという前提で見てしまいます。
なので、物事の本質からはズレズレの現実には失望感を抱いてしまいます。

物事の本質を追及するぞ!という前提で人生を見た時
そこにあるのは希望とは逆の物なのです。

(物事の本質を追及することは決して悪いことではないが、時と場合によっては、物事の本質を追及しないほうが、人は幸せでいられるってことでしょうね)

世の中というのは、物事の本質をその優先順位第一位には置いていないのです。
ゆえに世の中は物事の本質からはかなりずれている。

でもだからこそ、人生は面白いとも言えます。
物事の本質だけが唯一絶対正しいとすると、答えは常にたったひとつになってしまいます。

物事の本質を一旦脇に置くことによって、様々な答えが生まれるようになり
人生の楽しみ方が増えて人生が豊かになるのでしょう。

すべてが絶対的に正しい世の中は、つまらないのでしょう。

人生を楽しむという前提においては、物事の本質追求はその優先順位を落とさざるを得ない。
つまりこれも、究極的に物事の本質を求めるのなら、それはより高次の意識の世界の話になってしまい、楽しむためにこの世に生まれてきた、という目的にはそぐわないのでしょう。

MIL47063

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