バシャールのペーパーバック4の44-45ページには以下の様にあります。
みなさんの魂が肉体の中にあるのではなく「肉体は魂の物理次元であり、三次元の中に見えている部分」なのです。
(中略)
意識も、肉体の中にはありません。
肉体が意識の中にあるのです。
魂と意識ってどう違うんでしょうね?
バシャールにはこういう言葉もあります。
物理的な現実はみなさんの創造物です。みなさんが死ぬとき、魂が肉体を離れていくように思えるかもしれませんが、魂が肉体の中にあるわけではありません。肉体が魂の中にあるのです。 : バシャール スドウゲンキ
魂が肉体の中にあるわけではなく、肉体が魂の中にある……
この言葉を加味して考えると、魂と意識は同じようにも思えます。
そして肉体が魂の中にあるからこそ、肉体が意識の中にあるからこそ
「外側に見ているものはすべて、実際には自分の中で実現したものなのです。」(同書P.45)
「この物理次元に存在するものは、みなさんの意識によって創りあげられています。」(同書P.45)
「この世の中で見るいろいろな物・人・場所、それらもすべて自分の中で創りあげた『あなた流』のものなのです。」(同書P.45)
となります。
さらにこういった見方から次のような結論が導かれるという。
「自分は『個人』でありながら、実際には他の人ともつながってひとつである」(同書P.45)
自分が他の人と離れていて「個人」であるというのは幻想だが、自分が見るものすべては自分が創り出したものなので、「あなた自身がすべてである」ということ。
(これは夜見る夢を考えるとわかりやすいのかも知れない。夢には他人がいっぱい出てくるがその他人は自分が創り出したものだし、自分の見る夢がすべてひとつにつながっているのは事実だし、夢がすべて自分の意識内で起こっているのも事実だ。)
これは各個人に対して「真実」であり、違うように見えるのはすべて無限の一側面に過ぎない。
みなさんは創造の一部であり、違うところから見た「目」のひとつひとつであり、すべての「目」は平等。
違う視点から見ているだけとのこと。
というわけで、常識的に考えても、ある意味では意識の中に肉体があるというのはあり得ると思う。
人間が現実を認識するには五感に頼る以外になく、五感による現実世界の認識というのは、つまりところ脳による刺激の認識であり、ゆえに脳に直接画像データや感覚データを与えることが可能であれば、脳はそれを現実だと認識するだろう。
この記事は、以下の本を参考にしています。
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